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’80s アメリカの旅3

⒉リトルトーキョー(2)

 

ロサンゼルスの中心街は高層ビルが立ち並ぶ都会で活気がある。街の中心と思われる辺りでバスを降りて歩いてみた。店舗のウインドウに映ったリュックを背負う自分の姿は見るからに旅行者で景色に馴染んでいない。自分は本当によそ者なんだと感じた。

 

街の中心部にある公園を抜けてしばらく行くと大きな市場があった。衣類、生活雑貨をはじめとして、肉、野菜、果物、乳製品、パンなどさまざまな食料品が売られている。しかも安い。地元の特産品と活気があふれている。ここにいると自分も元気になる気がする。

 

市場で食パン一斤、洋ナシ数個、〝トロピカーナ〟というブランドのオレンジジュース、バドワイザー3缶を買いホテルに向かった。バドワイザーと値段が安いトロピカーナのジュースは、アメリカ滞在中の定番品になった。

 

ホテルに着いたのは午後1時を回ったころだったと思う。「ホテル加宝」は街の中心部からからはずれた閑散とした場所にあった。日当たりはよさそうだ。歩いている人はほとんどいない。どちらかというと和やかな雰囲気に思えた。建物自体はなかなかきれいだ。入口は小さなホテルに似つかわしくない頑丈そうな鉄の扉だった。この扉はいつも鍵がかかっており呼び鈴を押すと中から開けてくれる。宿泊客には合鍵を渡してくれるようだ。宿泊料金は朝食付き週93.5ドル。1ドル204円だから19,074ダブルルームしか空きがなかったのでしかたない。シングルルームは週71ドルなので、空いたらすぐに移してもらうことにした。しかし長期滞在者が多く中々空きは出なさそうだ。

 

チェックインを済ませると部屋に荷物を置いて周辺の散策に出かけた。数ブロック先にホテルニューオータニがあった。ロビーには、スタッフや宿泊客など多くの日本人がいた。なんか安心する。ホテルでタウンマップをもらいリトルトーキョーへ行ってみた。何軒かの店と小さなホテルが通りを挟んで立ち並んでいる。思ったより小さなエリアだ。

 

どこに行ってもチャイナタウンを造る中国人をはじめ、一か所に集まって街を造ることが多い他国人に比べ、日本人がこのような街を造るのは珍しいようだ。以前見た映画ゴッドファーザーで、移民が力を合わせて生き抜く手段として、リトルイタリーを建設する過程が描かれていたことを思い出した。リトルトーキョーを建設した日本人移民にもいろんな思いや歴史があったのだろう。

 

夕方ホテルへ帰った。共同のシャワーを浴びて、部屋で食パン2枚と洋ナシ一個を食べて、バドワイザーを1缶飲んだ。残りの洋ナシとバドワイザーを共同冷蔵庫に入れて、リビングルームへ行ってみた。宿泊客らしき人が数人ソファーで話していた。全員日本人だ。挨拶してソファーに座った。みんな結構長くここに泊まっているようだ。

 

短髪の関西弁の人はすでに1年以上旅をしており、ヨーロッパ・中近東を経てアメリカへ来たらしい。長旅で疲れたのでここで小休止しているとのことだ。関西の人はよくしゃべる印象があるが、ここでも会話の中心にいる。今まで旅したなかで1番好きな国はトルコだそうだ。景色がきれいで食べ物もおいしい。美人も多く言うことなしで、何より皆日本人に好意的で親切。「わし、ほんまにトルコに帰りたいわ。」とのことだ。「お前がいっぱい金を使ったから、みんな親切だったんじゃないの?」と向かいに座った男が言った。30前後だろうか。ごつい人だ。「そうかもわからんけど・・・、何となくわかるやん。好意的かどうか。」と、関西弁はややトーンダウンしながら応戦した。 

 

この2人は以前からの知り合いのようで、関西弁がどこだったかの砂漠を歩いていたとき、リヤカーを引っ張って前から歩いて来たのがごついひとだったそうだ。ごついひとはリヤカーを引いて世界を歩いているらしい。「このホテルで偶然再会したときはほんまに驚いた。」そうだ。もう1人の20代後半らしき痩せた男は、何となくロサンゼルスに来てそのまま居ついたホテルの古株のようだ。

 

みんな親切でいい人そうだ。

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